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2005年08月10日
手紙を受け取ったものの……
ジョアナ・サザーランドと名乗る女性からの電話を受けたのは、4月18日のことでした。絵本発掘のため出張していたイタリア・ボローニャからもどったばかりで時差ボケの頭に、いきなりのイギリス英語。なんとか聞き取ったところによると、自分の大おばにあたる人が書いたエジプト旅行中にかいた日誌を、ぜひ日本で出版してほしい、しかも日誌は、80年前に書かれたものだというのです。
いったいどうして今ごろその日誌なのか、どうして私たちに連絡をしてきたのか……。頭の中は「?」だらけでしたが、ともかく、おもしろい話はなんでもかじってみるべき! だめなら食べなきゃいいんですから。とりあえずはその日誌とやらを送ってもらうことにしました。
そして、数日後に編集部へとどいたのが、このブログに紹介した1通の手紙と、ハガキやらカードやらがたくさんはさまった、1冊の大判の日誌でした。
日誌はたしかに古く、ザラザラしますし、日に焼けていて、おまけにデカデカとコーヒーのしみまでついています。でも、この日誌がただものでないことはすぐにわかりました。すばらしいスケッチがほどこされていたのです!
ギザのピラミッド、ツタンカーメン王のマスクやひつぎ、発掘作業のようすやまちの人びとのようすなどが、まるで写真かと思うほど精密に描かれています。80年間ほとんど開かれることがなかったのでしょう。あわい水彩絵の具の色使いが生きていました。そうした絵を埋めるように、タイプライターで打った文字がならび、ところどころに女性らしいきれいな筆記体が書かれています。
私はエジプトを訪れたことはありませんが、日誌には、まだ見ぬエジプトへいざなう「なにか」がありました。正直なところ、私は魅了されてしまいました。
でも、そんな個人的な好みで出版を引き受けるわけにはいきません。この日誌が本物であるのか、書かれていることは作り事ではないのか、まずはしっかりと調べてみる必要がありそうです。
投稿者 imajinsha : 19:22 | コメント (0) | トラックバック
2005年08月08日
編集部に届いた1通の手紙−完結編
大おばの日誌に目を通すにつれ、彼女はとてつもなく重要なものを見つけたに違いないと、私は強く確信するようになりました。当時、ファーンコーム家のパピルスについてそのような噂があったのは確かですし、いわゆる神秘主義者の中には、大おばは“ミイラの呪い”によって命を落としたと主張する者もいました。そう、かの有名なツタンカーメン王の墓を暴いた者たちに、死をもたらしたのと同じような呪いです。
事実、大おばが失踪したのとほぼおなじころに、遠く離れたイギリスで、彼女がかわいがっていたネコのハトホル・ラーが急死しました。ですが……
このような偶然はよくあることなので、私は気にしてはいません。何しろ、ハトホル・ラーは18歳。人間でいえば100歳近かったのですから。
カイロからの荷物を受け取った日以来、私は折に触れて、この文献について思案をめぐらせ、大おばの身に起こったことを解明したいと考えてきました。しかし、娘たちのいるアメリカに移住してからは、あまり時間がとれません。そこで、この日誌を公表すれば、大おばの失踪について調べることのできる人の目に触れるのではないかと考え、貴社に出版を持ちかけた次第です。この日誌の内容は、現在受け入れられている古代エジプト史についての仮説とは、多少矛盾するところもありますが、その分、本として出版すれば、魅力的な読み物になることは確かです。
この日誌の出版にご関心がないようでしたら、お手数ですが日誌をご返却くださる様お願いいたします。
草々
ジョアナ・サザーランド(旧姓サンズ)

投稿者 imajinsha : 11:10 | コメント (0) | トラックバック
2005年08月03日
編集部に届いた1通の手紙−その3
私は最近まで、大おばのことや彼女の謎めいた失踪についてほとんど忘れていました。ところが、1994年5月にカイロのパッツィー・ホテルから、書類の束と数冊のノートが送られてきました。それらは、大おばがアスワンからホテルへゆうそうしたものですが、それからなんと70年近くも、ホテルの物置に放置されたままになっていたらしいのです!
大おばが手書きした書類や日誌を見て、私はショックを受けました。これまで大おばは追いはぎに襲われたか、軽率にもワニがうじゃうじゃいるナイル川で泳いだのだろうと決めつけられていましたが、私はこうした憶測など信じられないと思っていました。当時警察による公式調査が行なわれましたが、ほとんど手がかりは見つからず、ファーンコーム婦人が雇った私立探偵たちも、この事件を解明することはできなかったのです。

ジョアナ・サザーランド氏がパッツィ−・ホテルから受け取った、"大おば"エミリー・サンズの荷物の一部。この他、博物館のチケットの半券や日に焼けたノートなど、たくさんの資料があった。
投稿者 imajinsha : 20:41 | コメント (0) | トラックバック
2005年08月01日
編集部に届いた1通の手紙−その2
ファーンコーム家のパピルスからこのような推測がなされるのは、第1に、これがとても古いものであり、“オシリス神話”の舞台であるエジプト文明初期に作られた“本物”だと考えられること。さらに、パピルスには、イシス女神がきわめて変わった方法で、夫に永遠の命を授けている場面の絵と、「オシリス神は“聖なる丘”の中に眠る」というヒエログリフが記されていることです。折に触れて、アスワン近くのビーガ島と結びつけて考えられてきた“聖なる丘”です。
当時、ファームコーム婦人のよき友人であった大おばは、このパピルスを見せてもらい、それを基に、“失われた”墓を探し出す探検隊を組織したらしいのです。探険は1926年11月に開始されましたが、数回にわたる経過報告のあと、大おばと仲間たちは砂漠で姿を消し、二度とその消息を聞くことはありませんでした。
